〜コラム的な戯言5〜






邪魔な筋肉?

私は十代の半ばくらいまで、何かしらの運動ををする際に「筋肉」は とにかく鍛えられていれば鍛えられているほど有利である。という イメージを持っていました。

これは「戦闘力が高ければ高いほど強い」というドラゴンボールからの 影響がもろに反映されていたのだと思います。

そんなある日、一冊の格闘技の本に出会い、その中の記述に衝撃を受けた のを憶えています。

それは、


「スピードのある動作を行うときに、必要な筋肉もあるが、邪魔になる 筋肉もある」


というものでした。
別の動作や、防御の際に必要になったりもするので、一概に邪魔な 筋肉かどうかを判断するには総合的な見方が必要かと思いますが、 とにかく「どんな筋肉でも、あればあるほど良い」と思ってしまっていた 私にとっては斬新な情報でした。

私は特にマッチョな体型ではないのですが、わりかし筋トレは好きな方で、 ドラムを始めてからも特に気にせず、腕立て・腹筋・ダンベル等の筋トレを 続けていました。

しかしドラムが面白くて仕方なくなり、かなりはまり始めてしまったころ、 邪魔な筋肉についての考え方を思い出し、意識するようになりました。

今まで続けてきた筋トレは、なにか決まった目的のために行っていた わけではなかったので、もしその筋トレがドラム演奏に対して邪魔なものに つながっているのであれば、続けるべきではないのではないかと。

実際、試しに少しの期間筋トレを中断してみたところ、動きがスムーズに なったような感覚でした(ただの錯覚かもしれませんが)。

まあ要するに、筋トレをサボる口実ができてしまったわけです。

ドラム演奏自体によって育てられる種類の筋肉もかなりあるかと思ったので、 ドラムをやっていれば体全体的な筋肉が衰えるというような心配はない だろうとも思いました。


そしてあまり筋トレをやらなくなって数年・・・。


ドラムは相変わらず楽しくできていますが、体や腕はかなり細くなって しまった気がします。

筋トレを行っていたころは、マッチョではないにしても、筋量は平均以上に はあるだろうなと思っていましたが、最近は初対面の人にも「華奢(きゃしゃ) ですね。」と言われるほどです。もやしです。腕相撲もすごく弱くなりました。

そして最近改めて気づいたことがもう一つあります。

大きな音を出すためのストロークには、"スピード"だけが最重要であると 思ってきましたが、"腕の重さ"もかなり重要なのではないかということです。

スティックをただスピード重視で振り回す分には、それに関係のない筋肉は 邪魔なものなのかも知れませんが、体の奥からエネルギーを搾り出し、 様々な部位・動作を経てスティックが打面をヒットするまでの過程で、 「腕の重量を乗せる」というのは、力強いショットととても関係性の強い 要素なのではないかと思いだしたのです。

じゃあ腕に重りでもつければいいだろ。と言われそうですが、重い腕を 振り回すための筋肉とか、バランスのことも考え出すと、なかなか難しい ところです。


腕が以前よりも細くなってしまった今でも、ドラムでパワー不足を感じた ことはありませんが、より上の段階を目指すためには、パワーはありすぎて 困ることはありません。

そのような思いがあり、最近はまた少しづつ筋トレを再開してみています。
もちろんドラムのスピードに悪影響の出ない程度の低負荷でではありますが。


それにしても、何が良い影響になるか、悪い影響になるかは、結局は 自分自身と相談しながら長い時間をかけて見直していくものなのかなと 考えさせられました。

文章化

私は練習中にふと思いついたコツや、ライブで失敗したことなどを、 携帯などにメモしておくことが多いです。

メモする文章は、そのメモを見たときに自分だけが思い出せれば よいので、イメージ的な表現が多く、もし他の人がそのメモを見る ことがあったとしても、ほとんど意味不明なものであることでしょう。


一度おかした失敗を繰り返さないようにするため。

ふと気づいたはいいけど、次回練習する時に思い出せるか微妙な 感覚(コツ)を、思い出しやすくするため。

そういうものの文章化は、とても便利なものではないかと思っています。


また、頭の中で自分の演奏について整理しやすくなるというメリットも あるかと思います。

しかし、不思議なもので、その時の感覚をメモした時は簡単に思い 出せたものが、時間をおいてからそのメモを見て思い出そうとしても、 微妙に感覚にズレがあって、うまく再現することができない場合もあります。


文章化と言うのはそもそも、形の無い感覚や思考を、「言葉」という 「檻(おり)」に閉じ込めるものであると思います。
イメージをパッケージしているとでも言いましょうか。

「言葉」と言うものに囲まれて生活を送っている私たちは、頭の中でも 「言葉」で物事を整理することが多いのではないかと思います。

普段あまり意識することもありませんが、実は人間が感じている 感覚と言うものは、どんなに頑張っても言葉と言う檻に閉じ込める ことができないような、「あやふやなもの」も多いのではないでしょうか。

そして、その言葉にできない「あやふやなもの」が、実はとても 重要なものだったりする場合もあると考えられます。

つまり、ある時ドラム演奏等で得た感覚を、その時はメモ(文章化)して 閉じ込めたつもりでも、本当に重要な部分が押さえられていない場合も あったりするのではないかと思わされます。

本当に重要だと思えるようなコツに出会えた場合は、その場で何度も 何度も繰り返し体に覚えさせるのが、結局一番良いのかも知れません。

まあそもそも単純に私個人の文章力が低いというだけの話かも 知れませんが・・・。


なんだか感覚をメモすることをお勧めするコラムのはずが、全然逆の 方向に行ってしまいました。

でも、もちろんメモが非常に便利なものであると言う気持ちは変わりません。

数年前のメモを見直してみたりすると、ハッと大事なことを思い出して、 現在の自分が向き合っている壁を突破するヒントになったりすることも あります。

ただ、メモに頼りきれない部分もあるということを、自分自身で肝に銘じる ために上のようなことを記してみた次第です。

昔の武士の秘伝書みたいなものも、他の人が見たらチンプンカンプンな ものが多いらしく、「感覚のメモ」は昔から行われていたものなのかも 知れませんね。

まあ私のメモの場合は、そんな高等なものではありませんが。